酒津焼窯元の歴史と系図





■酒津焼窯元の歴史■

酒津焼の窯場・工房がある倉敷市酒津は倉敷駅より車で10分の地。酒津は倉敷市の水源地で桜の名所で知られる酒津公園のほとりに酒津焼の窯場があります。

酒津焼は初代岡本末吉(号陶楽)が1869年(明治2年)鶴形山の麓、戎町に開窯し、陶土は倉敷新田灘の粘土を使用し、陶工は萩から呼び寄せて始めたものです。

 1876年(明治9年)酒津に良質の陶土があることを聞き窯を酒津に移し、最初は兜山(別名甲山、加武登山、八幡山、龍山)の南山麓に築窯し、焼き物の名前を「加武登焼」と名づけ、兜形をした押印を用いました。その後、加武登焼を甲山窯と改め、窯印を「甲山」とか後に築窯した西山の麓の窯にちなんで「西山」という押印に改めました。やがて、いつの頃からか地名により酒津焼と呼ばれるようになりました。昭和初年よりは「酒津」もしくは「さかつ」の窯印を押しています。

甲山窯全景 甲山窯で働く職人達

 釉薬は海鼠・萩・並釉・伊羅保・蕎麦など用い、明治30年ごろから二代嘉蔵が継ぎ、大正10年頃三代賢二、昭和になって四代静太郎(号仁静)が継ぎました。

 昭和初期には近藤悠三、浜田庄司、河井寛次郎、富本憲吉、バーナード・リーチ先生等のご指導を受けたことがその後の酒津焼にひとつの大きな流れを与えました。

後部:左から2番目が浜田庄司
後部:右から1番目が四代目 静太郎
バーナードリーチと
四代目 静太郎

 窯が高梁川西岸にあり橋がなく渡し舟で往復する不便さのため、1950年(昭和25年)高梁川東岸酒津水門の現在地に窯を移して、爾来親子相伝で伝統を継承しており、現在は五代 章と長男 研作、次男 和明で作陶しております。

現在の窯 窯焚き風景

 酒津焼は茶器・花器・食卓用品を主に作り、やや肉厚であり、釉薬は厚くかけているのでその色合いは深みがあります。
そしてその素朴で健康的優雅の特色を守りつつ使用に耐え、生活に潤いを心に和みを感じて頂ける作品作りをコンセプトにおいて日々作陶しております。


■酒津焼窯元 系図■

明治  2年  岡本末吉鶴形山山麓に阿知窯を開く
     9年  酒津兜山山麓に共同窯を築き加武登窯と名付ける
    13年  酒津西山山麓に窯を開く(西山窯)
    26年  八幡山麓に貿易窯を開く(二十八年まで)
    30年  嘉蔵・末吉より西山窯を継ぐ
大正   9年  賢二窯を継ぐ
          金重陶陽先生来窯作陶
    11年  入江之介先生来窯数千点に絵付(十三年まで)
    13年  西山窯廃窯
    15年  皇太子殿下に梅花菓子鉢献上
昭和       初年より窯印を甲山・西山改め酒津にす
     5年  近藤悠三先生来窯作陶指導
     7年  浜田庄司先生来窯作陶指導
     8年  河井寛次郎先生来窯作陶指導
    10年  バーナード・リーチ先生来窯作陶指導
    12年  富本憲吉先生来窯作陶指導
    13年  川喜多半泥子先生来窯
          静太郎窯を継ぐ
    25年  酒津水門の現在地に窯を移す
    35年  千家官休庵千宗守宗匠来窯揮毫
    40年  酒津焼を登録商号とす
    45年  章窯を継ぐ
    54年  酒津焼百十年を記念し酒津焼館を開館
平成   3年  大野昭和斎先生来窯作陶
     6年  酒津焼開窯百二十五年記念父子展
    10年  第二十五回倉敷郷土作家遺作展とし静太郎展開催 
    11年  酒津焼開窯百三十年記念父子展
    18年  倉敷市より酒津焼が倉敷ブランドに認定される
    21年  酒津焼開窯百四十年記念父子展
    25年  研作窯を継ぐ
    26年  酒津焼開窯百四十五年記念兄弟展
         倉敷市立美術館に四代・五代の作品を寄贈
    27年  「酒津焼の美」展 倉敷市立美術館

【酒津焼】とは
 当窯で制作されたもののみを示す名称であり、倉敷市酒津地区で制作された全ての陶器を示す名称ではありません。現在は岡本章・研作・和明で作陶しております。

      






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